スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ株式会社発行)では、毎月旬なゲスト選手が語る「鈴木健.txtの場外乱闘」が連載されています。現在発売中の2025年5月号では、第129回(本誌ナンバリング)ゲストとして大日本プロレス・神谷英慶選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて大公開!!
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大日本=神谷英慶――
やれるのか?ではなく、
目を背けず向き合うこと
神谷英慶(大日本プロレス)

充実していた2冠王としての5ヵ月
自分のことをエースだと思えた
神谷選手は昨年4月14日にBJW認定デスマッチヘビー級王座を獲得し、10月14日にはBJW認定世界ストロングヘビー級王座も獲得、団体史上初の2冠同時戴冠となりました。この取材の4日前にデスマッチ王座はアキラ選手(大日本に参戦する外国人レスラー)に奪われてしまいましたが昨日(4月2日、新木場1stRING)、浅倉幸史郎選手(大日本プロレス。以下、特に表記がない場合は同)を相手にストロング王座初防衛に成功したばかりです。2つのベルトの防衛戦を短いスパンでやることは、2冠王者になった当初から想定していたことと思われます。
神谷 以前、デスマッチヘビーを持っていた時(2023年)、1月2日にストロングヘビーに挑戦して獲れなくて、2日後の1月4日にデスマッチヘビーの防衛戦をやったことがありましたけど、どちらもチャンピオンとしては今回が初めてでした。やっぱり体的にキツかったです。いつかはそういうことが起こり得るとは思っていましたけど、傷がふさがっていないまま試合をすること自体は日々やっていることながらもその間、大日本以外の試合もあったので、体のシンドさはありました。
29日に右腕へかなりの裂傷を負いながら翌日の昼には天龍プロジェクトの新木場大会に出場したあと、大日本の名古屋大会に向かいました。
神谷 どうせ開くと思って縫わずに出たんですけど、天龍プロジェクトさんの開場前、練習しようと思ったらバンテージから血がにじんできてダラダラしたたり落ちてきました。でも、三十代になってなお若いんでそのまま試合に出ました。
実際、2本のベルトを持った5ヵ月間(現在保持するUWA世界タッグ王座も合わせると3冠)はどのようなものとして残りましたか。
神谷 その間、ストロングヘビーの方は一度も防衛戦をやる機会がなかったんですけど、周りと団体内の自分を見る目が変わったとは感じました。2本のベルトを持って他団体のリングに上がった時もそうだったし、自分自身も俺がエースとして大日本プロレスの看板を背負っているという意識が強くなって、常に心の中へあった5ヵ月間だったと思います。
見方が変わったというのは、どのように?
神谷 頼られているなというのを感じましたね。あとタイトルホルダーはメインイベントを務めて興行の最後を締める試合が多くなりますけど、僕の場合は両方持っていたから本当にこの期間、それが増えた。そういう機会が増すと言葉の大切さというか、この先試合を通じて何を見せていくかをちゃんと伝える意味で勉強になりました。大日本プロレスは地方もまわるので、初めて見に来た人も次にいきたいと思うようなことを言わなければならないし、年に一度しかプロレスを見ない人たちに対しいかにプロレスの魅力を伝えられるかっていうのはすごく考えました。2冠王って、前例がなかったじゃないですか。比較対象やお手本となる人がいないから、自分で考えて形にしていかなければならない。そこでやったことが、これからのスタンダードになるなっていうのはありましたね。
2本のベルトを持ったからこその使命感ですね。
神谷 はい。立場が変わったんで発言にしてもそれなりに責任を負わなきゃいけないですから、ヘンなことを言えなくなりました。
ヘンなことを言ってこそ大日本プロレスなのでは?
神谷 今まではヘンなことも言ってきたし、考えてきましたけど、大日本プロレスだけでなく業界全体に影響が及んでしまうことも若干あり得るだろうと考えるようになりました。大日本プロレスがちゃんとしたことを言っても響くようになってきたという手応えがあって。それまではちゃんとしていないことの方が主(おも)でしたけど、変に横道へそれなかったから響くようになったんだと思うんです。そこへ2冠になったことで気づいたというか。
先ほどエースという言葉が聞かれましたが、自分自身をエースと思えたんですね。
神谷 思えましたね。今、BJWジュニアのベルトを日高郁人さん(ショーンキャプチャー)が持っていて、タッグ王座は外国人チーム(マッドマン・ポンド&デイル・パトリックス)が保持している状況の中、日本人がシングルのベルト2本を巻いていたら自分がエースと言わざるを得ないというか、ほかの人に任せましたって言えないじゃないですか。自分が矢面に立たずフラフラしていたら周りにとってもよくないんで、どっしり構えていることが大事だと思いました。
団体のエースというポジションは心地よいものですか。
神谷 楽しさもあれば、キツさもそれなりにあると思いました。楽しさは、自分が(物事を)動かせているっていうのをすごく感じたというか、やっぱり注目もされますし発言もとりあげられやすくなったという点ですね。
団体内での発言権は高まったんですか。
神谷 発言権が高まったというより、周りが立ててくれている気がします。目に見えて伊東(竜二)さん、関本(大介)さんは自分を立てるような発言をしてくれている。まあ、アブドーラ・小林さんというまったく変わらない方もいますが。
あの方は違う世界線の方なので仕方がないです。
神谷 あの人は、他人のことを褒めても最終的には自分ですから。
むしろ自分を褒めるための布石でしかないと思われます。
神谷 珍しく褒めてくれているなーと思ったら、結局は自分のことを褒めていました。逆にキツいのは先ほども言いましたけど試合面ですよね。ストロングBJの試合で大流血することもあります。連戦連戦で治療にもいけずで…本来は、強い立場の方ってめちゃめちゃ応援される側ではないじゃないですか。7月に大門寺崇選手(ランズエンド)の地元・北海道で対戦したんですけど、僕の方が前の試合で負った傷から流血して、すごく応援されちゃったんです。あれは申し訳ないなと思いました。そこは地元のスターが声援を送られるべきなのに。
ただ、2本のベルトを同時に持つ前からデスマッチとストロングBJの両立は続けてきていたから、それが日常と言えば日常ですよね。
神谷 日常ですけど…一番キツかったのは、11月に天龍プロジェクトさんの「龍魂杯」というトーナメントに出場させていただいたんですけど、その日は準々決勝、準決勝、決勝戦と一日3試合勝たなければ優勝できなかったんです。加えて昼にはウチの大阪大会があったんで、それを終えたあと新幹線に飛び乗って東京へ向かってからの3試合で。
しかも昼の試合でデスマッチをやったから通常ルールの龍魂杯で流血してしまったんですよね。
神谷 新幹線が遅延して、ギリギリに新木場1stRINGへ着いたんですけど、そこからの3試合はいずれも強者ばかりで(入江茂弘、佐藤耕平、佐藤光留)。あれを乗り越えて優勝できたのは本当に大きかった。
大阪-東京をまたにかけての一日4試合ですよ。
神谷 あんなに嬉しそうな顔をした天龍(源一郎)さんを初めて見ました。
解説席から観戦していて、全試合終了後に車イスでリングへ上がって絶賛していました。その場で勝利の美酒としてビールを飲まされました。
神谷 僕は天龍さんがイッキ飲みしたのが大丈夫なのか!?って心配になったんですけど、見ていた人たちは血を流しながら3試合やった直後に飲んだ僕を見て大丈夫かと思ったらしくて。医学的なことを言ったら体によくないんでしょうけど、大丈夫でした。それであの時、天龍さんが龍魂杯の試合を評価してくださって「新日本プロレス、全日本プロレスがなんぼのもんじゃ!ですよ」って言ってくださったじゃないですか。あれはめちゃめちゃシビレました。やっぱり、我々の側としてはメジャーとされるところに対しそういうことを言わなくなってきている。ウチはインディペンデントですよって線を引いてしまっている。それをレジェンドと呼ばれる方がぶっ壊せ!っていうようなことを言っているのを聞けたのが嬉しかったんです。
ほかに触れないことで自分たちの価値を保とうとするのがインディペンデントという面がある中、天龍さんはそうじゃないんだ、メジャーを相手にやってみろと唱えたんですよね。
神谷 僕も今の時代は、そういうメジャーとインディーの壁のようなものをぶっ壊した方が面白いと思うんです。そういう経験もできて、この5ヵ月間は本当に充実していました。大晦日の「キング・オブ・デスマッチ・ワールドGPトーナメント」にも出られて、チャンピオンでありながら落ち着くことなくいろいろなことができた。確かにストロングヘビーの防衛戦はあまりできなかったし、デスマッチヘビーは落としてしまったけれどこれほどの経験ができたんですから。
田中将斗と盛り上がった
橋本大地スターダム計画
王座は明け渡してしまいましたが、今後もデスマッチ路線は継続していくんですよね。
神谷 そうですね。闘いたい選手もまだいますけど、ストロングBJの方ですごい若手が出てきたので。
昨日挑戦した浅倉選手ですね。デビュー2ヵ月にしてタイトルに挑戦したという。
神谷 やる前は大丈夫なのか?と思ったんですけど、想像を遥かに超えた激しい闘いをしてくれたので嬉しくなっちゃいました。こんなやつが出てくるものなんだなって。デビュー2ヵ月で人生初のタイトルマッチに挑んで、あんなにできるプロレスラーってほかの団体にいないと思うんです。だからこの人材をどんどん業界に売り込んでいきたいと思いました。新しい風が吹いているわけだから、そこはポジティブにいかないとダメですよね。逆の立場だったら、デビュー2ヵ月でベルトに挑戦したいという発想自体湧かないですよ。僕はそんな自信、なかったですから。それで実際に肌を合わせてみたら伸びしろしか感じられなかった。そういう若手が出てきたこともあって、ベルトを持つ身としてはストロングBJの比重の方が大きくなると思います。あとは…去年、田中将斗さん(プロレスリングZERO1)と偶然お酒の席で話す機会があって、一致した意見があったんですよ。これから先、橋本大地を新日本プロレスのような大きな舞台に上げていきたいって。
本人がいないところで。
神谷 そう、勝手に盛り上がったんです。田中さんが熱く語っていましたね。橋本大地って、誰も持っていないものを備えているにもかかわらず、本人があっけらかんとしているというか。だから周りでどうにかしてスターダムにのし上げようって。僕の中では、ストロングBJの中でそれも目標にしてやっていきたい。その中で大地さんとこのベルトを懸けて闘うタイミングも来るかもしれないんで、そうなった時は橋本大地のステージが上がるような試合をやらなければって思っています。
昨日の防衛戦のあと、大地選手がベルトに視線を向けていましたよね。
神谷 見ての通り、よくも悪くも気分屋なんですよ、橋本大地っていうプロレスラーは。気分が乗った時の大地さんは、強い。でも乗っていない時はどうなんだろう…というのがある。やるからには気分が乗っている橋本大地に勝ちたいですから。
昨年5月の横浜武道館で当時のBJW認定世界ストロングヘビー級王者・青木優也に挑戦した時の大地選手は、強くて怖かったですよね。ああいう橋本大地とやってみたいと。
神谷 いやー、あの時の大地さんはギラギラしていましたよね! あれを毎回出してほしいんですけどなかなか…でも、なんていうんですかね、それも逆に魅力と言ったら魅力というか、どうなるんだろうというハラハラ感は大事だと思うんですよね。
ガツガツするタイプではないんですかね。
神谷 大神(神谷&大地のユニット)として組んでいる時に思うのは、こっちを立てよう立てようとしているなって。指示の出し方がそうなんですよ。そこは似た者同士ではあるんですけど。ファイトスタイルや試合を組み立てる考えはあまり一致していないからこそ、自分にはないよさを引き出そうとお互いが立てようとしている感じなんですね。それが対戦する側に回った時、どういう出方になるのかっていうのは僕も読めないんで楽しみです。昨日の初防衛戦のあと、関本さんが「すごく感動した。デビュー2ヵ月の選手を相手に、プロレスを見ている気になれた」って言ってくださったんです。僕の中では関本さんってむすっとしているイメージがあったので意外というか、僕の中の関本大介像が崩れて哀しいところもあったんですけど。丸くなったんですかね。
トシを重ねて涙もろくなったのかもしれません。
神谷 そんな関本さんを見て、自分たちも丸くならないうちにやっておきたいって思ったんです。あと2年ぐらい経ったら本当にトップとしての務めをしなければならなくなるかもしれない。でも今のタイミングなら、楽しみ半分で橋本大地と試合ができると思います。
実際、ストロングヘビー級王者として何かをなし得たかといったら、むしろここからです。
神谷 自分が描いていたものはまだまだ形になっていないですから。岡林裕二という存在が抜けた時(現在、無期限休業中)、自分はどうしたらいいのかって考えたんですけど、そこから浅倉のような新しい人間も出てきて、埋まってきたかなっていうのがあって。外から見たらやっぱり岡林さんの名前を出されるんですけどこの前、お客さんに「岡林よりすごいよ」って言われた時は純粋に嬉しかったんです。自分もあの人がいなくなってから、より力推しになったというか、パワーファイトに特化するようになったんで、それがいい方向に向かっているんじゃないかとは思っているんです。あとは、もっとプロレス界全体に発信していきたいですね。少しずつできているっていう手応えはあるんですけど、大日本プロレスっていい素材がいっぱいいるのに、盛りつけがヘタというか。Instagramとか苦手なタイプなんですよ、会社全体が。僕も得意な方ではないんですけど、そういうのを世につなげるのも使命なんじゃないかと思っています。
これまではどちらかというと、先ほど申しました通りデスマッチ路線でやってきたこともあって業界の中で自分たちは自分たちというスタンスの歴史だったじゃないですか。
神谷 そうですよね。でも、業界全体を意識するようでないと面白くないなって。
日本プロレスリング連盟の会見に大日本代表として出席して、そこで他団体の選手と顔を合わせたことがその考えにつながっているんですか。
神谷 あの日も夜に天龍プロジェクトさんの試合があったんで、本当に顔合わせだけでこれから試合にいってきますって言ったら、温かく送り出していただいたんですけど。あとは、大家健さん(ガンバレ☆プロレス)にエネルギーをいただきました。まあ、それもあってより面白いものを見せていきたいという意識は高まりました。よく、ナンバーワンよりもオンリーワンを目指すって言うじゃないですか。デスマッチを続ける中では、確かにオンリーワンになるべきなんですよ。でも、ナンバーワンになることを放棄するためのオンリーワンじゃカッコ悪くないですか。僕はそれ、嫌です。ナンバーワンを目指し勝負していくべきだと思うし、その過程で素晴らしいものを見せるオンリーワンになればいい。
エースならではの視点だと思います。今、自分自身は大日本プロレスとイコールで結ばれていると思いますか。要は団体の顔となっているかどうかです。
神谷 まだ、そこまでではないんじゃないですか。そう言ってくれる人もいますけど、その母数がめちゃめちゃ多いわけじゃない。そこは自分の課題だと思います。
まあ、先人たちが偉大でしたからね。伊東竜二、関本大介、岡林裕二、そしてある意味存在自体が反則のアブドーラ・小林と。
神谷 でも、やらなきゃいけないですから。やれるのか?ではなく、目を背けることなく向き合わなきゃいけないことと受け取っています。僕より少し上の世代の人たちがごそっと抜けていることもあって、向き合えてきたかというとそうでもないなというのがあって。向き合ってくれた方が、後ろの人間も絶対楽なんすよ、新陳代謝という意味では。そういう意味で、僕たちがしっかり向き合わなきゃいけない段階に大日本プロレスは来ていると思っています。
バーブ佐々木興行でデスマッチに
対する熱量を確認できた
デスマッチに関しては?
神谷 僕がベルトを奪われたアキラが、すごく発信力があって「俺はすべてを捨ててここに来たんだ!」っていうぐらい情熱があるやつなんです。それによって引っ張っていってくれるだろうから、しばらくはその姿を見たい気がします。そこに昨日、デビューした新人(関茂隆真)がデスマッチ志望なんで、期待されていますし…デスマッチを取り巻く状況って、この前のバーブ興行(3月10日に開催されたバーブ佐々木25周年記念興行が、デスマッチをメインに開催され後楽園ホールが超満員札止めとなり熱狂空間を現出させる)で理解はされていると思ったんです。あれでエネルギーを感じましたけど、デスマッチというものが今後どうなっていくのかというのも僕の中にはあるし、あの大会は新日本プロレスの選手(エル・デスペラード)が出てデスマッチをやった効果が大きかった。
デスマッチを取り巻く状況というのは、コンプライアンス的なものや2027年に蛍光灯の製造が終了するということですね。
神谷 そういう中で、新しいデスマッチを生み出していかなければならない。その意味で、あの興行はデスマッチに対する熱量を確認できたというか。それは大晦日のデスマッチトーナメントでも感じました。ここ最近の大日本後楽園で一番お客さんが入った。だから、エネルギーはあるんですよ。それを出し続けられるかどうかであって。そこはデスマッチをやる選手が少なくなってきたり、やめてしまう選手がいたりするのも影響している中で、大日本はいろいろなプロレスがあるからデスマッチではないスタイルも伸ばしていく必要がある。でも、デスマッチは絶対にないがしろにしてはいけないと思うんで、そのために自分が頑張っていくのは重々承知しています。
いつかは再びデスマッチヘビー級のベルトをほしくなる時がくるでしょう。この5ヵ月間のシンドさをわかっていながらまた求めるという。
神谷 やらなきゃいけないタイミングが来た時に、それを他人に任せたくない。シンドいからほかの人やってねーなんて言ったら、エースじゃないですから。
デスマッチヘビー級のベルトを失っても、エースは名乗り続けるんですね。
神谷 はい、そこはもう、胸を張って…たとえ無冠になっても言い続けた方がいいと思います。
そう思います。大日本プロレスが30周年を迎えるタイミングでのエースです。
神谷 自分がデビューしてからは10年ちょっとですけど、その中でも浮き沈みがあったんで、これからどうなっていくのかというのは楽しみでもあり、逆もありますよね。せっかく30周年という区切りの年なわけですから、それを生かしてもっとメディアにとりあげられて、世間の注目を集めたいです。
もう一度、両国国技館のような大会場でやってみたいというのは?
神谷 両国、またやりたいです。そこはグレート小鹿(大日本プロレス会長)が大相撲出身なんで。
それもまた薄い理由ですね。
神谷 初めてストロングヘビー級のベルトを巻いたのも両国国技館だったし。
そちらを先に動機として持ってきてくださいよ! 今年の大晦日もデスマッチトーナメントが開催されたらエントリーしますか。
神谷 もちろん! 前回もそうでしたけど、世界中のどこからどんなやつが出てくるかわからないじゃないですか。すごく危ない発想を持ったデスマッチファイターが出てくるかもしれない。それが楽しみ。開催されたら、またgmailで応募します(同トーナメントは世界中から出場したいデスマッチファイターがメールで応募する形式)。
同じくデスマッチを団体カラーとしているFREEDOMSに関してはどうでしょう。
神谷 ビオレント・ジャックとは2月にシングルマッチで対戦しましたけど、またやりたいですね。あとは葛西(純)さん。
葛西選手の方から神谷選手の名前が出されています。
神谷 はい。だからこれもしかるべきタイミングで闘いたいです。まあ、タイミングを待っているだけじゃなく、そのしかるべき場を作っていかないと可能性を逃してしまうかもしれないので…でも、そういう時に名前があがるというのはいいことですよね。
神谷選手もX上で対戦したい相手として棚橋弘至選手(新日本プロレス)や丸藤正道選手(プロレスリング・ノア)の名前をあげていましたよね。
神谷 それを実現させるには、それこそ自分で動くことです。
小鹿さんの政治力を使ってなんとかならないものなんでしょうか。
神谷 うーん、小鹿会長は今、新潟プロレスさんの方でいっぱいですからねえ。
でも、ストロングスタイルとストロングBJの邂逅は見てみたいです。
神谷 「ALL TOGETHER」の時に、大日本代表として出たのが大地さんと関本さんだったんです。その時、なんで橋本大地&神谷英慶じゃないんだとは思いました。その頃はデスマッチヘビー級チャンピオンとして忙しくて、タイミングが合わなかったというのもあったんでしょうけど、今なら棚橋さんが引退されるということで相手を募っているタイミングなので、橋本大地と乗り込みたいです。